2022.11.22

「ドクター・ホフマンのサナトリウム / カフカ第4の長編」

TV放映を見た。ケラリーノ・サンドロヴィッチ演出による舞台劇。

フランツ・カフカが生前書き遺した長編小説は3作。だがここに新たな「第4の長編」が発見された。祖母の遺品の中からカフカの遺稿ノートを入手した主人公は、その出版を目論むものの、彼の身に意想外な事が起こり…という内容。

演劇畑でのケラと言えば「劇団健康」主催…かと思ったら、既に解散済みらしい(因みに有頂天やナゴム・レコードは現在でも存続中)。なので当公演では主演に(仮面ライダーキバでお馴染み)瀬戸康史等が参加している。その瀬戸の風貌が結構カフカを思わせ、ドキッとした。カフカが日本語で喋る訳ないのに。

内容は架空の「第4の長編」を中心に、カフカの伝記要素や彼と出会う現代青年といった、虚構的な多重構造を採り入れているのが興味深い。ケラと言えば早熟な喜劇少年というイメージだったので、カフカ好きというのは意外だったけど…「有頂天の」ではなく、演劇人としての彼の側面として見ると納得できるかも。
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2018.07.11

身毒丸ファイナル(しんとくまるふぁいなる)

観てみた。藤原竜也主演、蜷川幸雄演出の舞台劇映像版。2002年発表。

幼い頃に母親を喪った身毒丸は、その姿を追って街を彷徨っていた。そんな彼を見て父親は、母親を売る店で新しい母を手に入れる。その新しい母・撫子が家庭に収まるのだが、身毒丸は彼女を受け入れる事が出来ず…という内容。

中世の説話「しんとく丸」と「あいごの若」を元にしたという、寺山修司脚本による舞台劇。彼の劇団「天井桟敷」で行った初演ではオペラ形式だった様だが、今回観た蜷川演出版では一応通常の演劇形式となっている。とは言え、寺山的な世界観を踏襲したと思しき幻想的/幻惑的な演出で、全編が繰り広げられている。

また1997年の蜷川版「身毒丸」は主演の藤原竜也がデビューした事でも知られており、本作はその5年後の再演という事もあってか「ファイナル」と銘打たれている(2008年には「復活」公演が行われたけど)。…その後各界に活躍の場を広げた藤原における「暑苦しい」演技のルーツが窺えたのは、仲々興味深い。
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2016.12.20

こまつ座公演「イーハトーボの劇列車」

観てみた。井上ひさし作、鵜山仁演出による舞台劇。

戦前の日本でひっそりと活動した岩手出身の童話作家、宮沢賢治。37年の人生における4つの時点で、彼の思想や出来事を紐解いていく。妹が入院中の病室や、父との法華経に関する討論。思想犯としてマークされた刑事との対話等と共に、移動の列車内で関わった東北の人々が描かれるのだが…という内容。

井上が敬愛したという宮沢賢治を題材にした、1980年初演の舞台。早世した妹との関係や法華経、エスペラントに列車といった賢治作品における重要なキーワードを元に、断片的な形で彼の生涯が描かれる。…と共に2013年に行われた当公演では、震災後の東北へと向けた目配せも含まれているのが興味深い。

現世に想いを残して死んだ人々が持つ「思い残し切符」とは、まさに被災者の無念そのものであろう。勿論執筆時点で井上にその意図は無かった筈だが…こうして賢治的な死生観が今また甦るのは、幸と言うべきか不幸と言うべきか。
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2016.12.19

あの大鴉、さえも

TV放映を見た。竹内銃一郎作、小野寺修二演出による舞台劇。

男が3人、大きな「ガラス」を運んでいる。山田という家を探す彼らだがその場所は一向に見付からず、1人は足の痛みを執拗に訴える始末。迷宮の様な路地で行き詰まり、互いの意見を衝突しあう彼らは果たしてどうなるのか…という内容。

1980年に初演され、岸田戯曲賞を獲得した竹内の代表作。出演者の3人には「独身者1〜3」という役名が与えられているが、今回の公演では小林聡美、片桐はいり、藤田桃子といった芸達者な女優が起用されているのが特徴。…そちらの役名やタイトルから判る通りこの戯曲は、マルセル・デュシャンの美術作品・通称「大ガラス」が題材になっているのが面白い(劇中で言及もされている)。

個人的にはそれだけで充分興味深いが、内容の方も元ネタと共通しシュールで(「ゴドーを待ちながら」を連想させる)不条理なもの。とは言えコミカルなパフォーマンスを合間に挟む軽妙な演出なので、堅苦しく感じる事なく楽しめる。
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2016.12.18

狂人なおもて往生をとぐ 〜昔、僕達は愛した〜

TV放映を見た。清水邦夫作、熊林弘高演出による舞台劇。

どこか淫靡な色彩の照明が取り付けられた部屋。そこでは心を病んだ長男が自分の家を売春宿と思い込み、家族が皆その妄想に合わせて演技していた。そんなある日次男が恋人を連れて来る。家の事情を知りつつも屈託無い彼女の振るまいから、次第にこの奇妙な家庭の過去が明らかになって…という内容。

蜷川幸雄らと共に劇結社「櫻社」を立ち上げた、清水邦夫による初期の劇作品。清水は映画の脚本も手掛けており、ATGの「竜馬暗殺」辺りは成程という感じだが「悪霊島」なんかにも関わっているというのは面白い。…当公演も概要だけ聞くと社会派っぽいイメージを抱くけれど、実際にはかなり観念的で前衛的。

1969年発表という事もあって、まさにアングラ演劇そのもの。まあ筆者当時の空気みたいなのは判らないので、充分興味深く観られたのだが…今回の公演は21世紀的に洗練された演技や演出もあって、そういう意味でも新鮮だった。
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2016.12.16

アトリエの会公演「弁明」

TV放映を見た。アレクシ・ケイ・キャンベル作、上村聡史演出による舞台劇。

著名な美術史家であるクリスティン。一家に長年の友人を加えて、彼女の誕生日を祝う事になった。まず長男が恋人を連れ現れ、骨董の仮面をプレゼントする。だが折角の晩餐に次男は不在。しかもその席で次男の恋人である女優と悶着が起きてしまう。そして暫く経った後、怪我をした次男が姿を見せ…という内容。

キャンベルは現在活動中のイギリス人劇作家で、ローレンス・オリヴィエ賞を獲得した「プライド」を始め世界各国で上演されているとの事。今回の「弁明」もそうした一作だが、ウーマンリブの時代を経て社会的地位を切り拓いて来たある女性が、家族というものに改めて向き直る内容には、成程確かに普遍性を感じる。

当公演では女性が皆物怖じせず、ズケズケと発言する事に妙なカタルシスを覚えるのだが(特に長男の恋人の知性に惹かれる)…そうした末に見せる主人公の人間的な弱さだから、一抹の哀れみを覚えると同時に共感も出来るのだろう。
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2016.12.15

シス・カンパニー公演「抜目のない未亡人」

TV放映を見た。カルロ・ゴルドーニ作、三谷幸喜演出による舞台劇。

映画祭が行われている最中にある水の都ヴェネツィア。その会場には各国から集った、4人の映画監督が顔を揃えていた。彼らが自分の次回作に出演させようと狙っているのは、夫を亡くしたばかりの有名女優。彼女自身銀幕への復帰を熱望しているのだが、気位の高さ故にそう簡単に話は進まず…という内容。

18世紀イタリアで書かれた喜劇の古典を、現代の映画祭を舞台に置き換えた当公演。映画監督としても活躍中の三谷らしい趣向だが…大竹しのぶを始め、三谷作品でよく見るキャスト陣な事もあってか、余り映画と変わらない雰囲気。

そういう意味では三谷監督の映画が楽しめる人なら楽しめる内容だとは思うけれど、逆もまた真なりな訳で… 筆者もいい歳したオッサンオバサンの集団が、年甲斐もなくはしゃいでるのを見て笑えるならよかったんだけどねえ。とは言え隠し味程度ながら時折こぼれる、映画関係の小ネタにはニヤっとしてしまった。
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2016.12.14

二兎社公演「書く女」

TV放映を見た。黒木華主演、永井愛作、演出による舞台劇。

明治時代。父親の死を始め一家の働き手を失った樋口家では、次女の夏子が小説を書く事で収入を得ようとする。当初半井桃水に師事し指導を受けた彼女は、やがて日本の女流作家の先駆けとなり「樋口一葉」の筆名で次々に文学を発表するようになる。だがそんな彼女をいつしか病魔が襲って…という内容。

樋口一葉と演劇といえば北島マヤが「たけくらべ」を演じた、ガラスの仮面を思い出すのだが…(それは演劇じゃなく漫画だ)。当公演では小説家を志したその僅か4年後、24歳の若さでこの世を去るという一葉自身の半生を描いている。

樋口一葉となった夏子の生涯は勿論「書く」事により綴られる訳だが…当公演では彼女の小説の内容を語る際には文学的な議論という形で、断片的ながら作家の意図に直接触れる手法が採られているのが面白かった。作家の思想を観客に伝えるという以上に、演劇の舞台で一葉を「評する」という視座が興味深い。
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2016.12.12

あわれ彼女は娼婦

TV放送を見た。ジョン・フォード作、栗山民也演出による舞台劇。

中世イタリアのパルマ。裕福な家庭に育った兄ジョヴァンニと妹のアナベラは、許されぬ恋と知りながらも結ばれてしまう。アナベラは多くの求婚者との縁談を断り続けていたものの、兄との間の子を身籠もってしまい、体面の為にソランゾと結婚する事になる。だが遂に子供の父親の正体が漏れてしまい…という内容。

フォードというのは西部劇で有名な映画監督…ではなく、シェイクスピアと同時代イギリスの劇作家。その彼の代表作である舞台が当公演だが、内容が内容だけに当時から問題作扱いだった模様。何しろ近親相姦(インセスト)タブーというのは、現代の日本では犯罪でこそないが、未だに忌避される対象のままだし。

とは言え創作の世界でなら自由なものなので、(自分も描き手の末席として)妹萌えが昂じて果てる兄というのはまさに我等が先達だよなあと。…変に教訓めいた形で締めてもいないし、純粋な悲恋物として見る事が出来るかもしれん。
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2016.12.11

木の上の軍隊

TV放映を見た。蓬莱竜太作、栗山民也演出による舞台劇。

戦争の只中にある島。その島出身の「新兵」と本土から来た「上官」が、僅か2名で樹上の守備に就いていた。周囲には無数の死体が転がり、中には新兵の幼馴染みの姿もあった。2人が空腹に耐える中、敵軍は陣地を広げていく。やがて上官は気付く、既に彼らの戦争が敗北に終わっている事に…という内容。

井上ひさしが死の直前まで実現を目指していた企画を、蓬莱が書き継ぐ事により完成させたという当公演。藤原竜也と山西惇(相棒の「暇か?」課長でお馴染みの人)に、語り手の片平なぎさを加えたたった3人による舞台となっている。

内容的には2人の人物に「沖縄」と「本土」を仮託した両者の対立、戦中沖縄が受けた惨禍から終戦後の現在、いまだに紛糾する基地問題まで絡めて象徴的に描いている。完成した脚本がどの程度井上の手によるものか判らないが、巧みな距離感からはひょうたん島が実は涅槃的世界だという話を連想してしまう。
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2016.12.10

イキウメ公演「太陽」

TV放映を見た。前川知大作、演出による舞台劇。

太陽の下では生きられない新人類「ノクス」と、旧人類「キュリオ」とが共に暮らす世界。長野八区では住民がノクスを殺した事で行われた、10年もの封鎖が漸く解かれた。人口は僅か18名前後にまで減少し、外部との出入りには依然監視の目が光っていた。それでも徐々に、両者の交流は進むのだが…という内容。

読売演劇大賞・演出家賞と読売文学賞・戯曲シナリオ賞等を獲得した戯曲で、同作は入江悠監督で映画化もされた。内容としては2つの集団における差別や衝突を、SF的な世界観を基に描いたものだが…ノクスは要するに吸血鬼みたいな存在なので、現実社会における対立構造をそのまま準えた訳でもないみたい。

まあ演劇はその位抽象化されていた方が飲み込みやすいのも確かだし…(その分今回役者が演じた愁嘆場が強烈だったもんで)。個人的に連想したのは藤子・F・不二雄の「流血鬼」だけど、当公演は「地球最後の男」は関係無さそう。
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2016.12.09

メタルマクベス

TV放映を見た。宮藤官九郎脚本、いのうえひでのり演出による舞台劇。

西暦2206年。ESP王国の将軍・ランダムスターの前に三人の魔女が現れ、彼に1枚のCDを手渡す。それは1980年代に活動したヘヴィメタル・バンド「メタルマクベス」のアルバムで、歌詞に彼の未来が予言されているというのだ。ランダムスターは妻の助言もあって、レスポール王を殺害するのだが…という内容。

シェイクスピアの戯曲をクドカンが翻案した、劇団☆新感線による当公演。だから大筋自体は原作を踏襲しているのだが…ユニークなのはヘヴィメタル風の音楽や衣装、更には1980年代のいわゆる「ジャパメタ」ネタを取り込んだ辺り。

人物名がギターから引用されていたり、44MagnumやRandy Rhoads等の固有名詞が登場したり。クドカン本人はパンクロック好きの筈なのでおやと思ったら、パンクのメタル狩りなんて話まで出て来た。…こんなの自分みたいなオッサンでもないと判らんだろとは思ったけれど、こういうフリーダムさも楽しいね。
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2016.11.11

蜻蛉峠

TV放映を見た。古田新太主演、いのうえひでのり演出による舞台劇。

記憶を失いながらも約束を守り、蜻蛉峠で待ち続ける1人の男。覚えているのは「闇太郎」という名前のみである彼は、元役者の銀之助と共に旅に出る。辿り着いた宿場町では、2つのヤクザの組で抗争が続いていた。その町で出逢った娘・おるいは、男の姿を見るなり彼を幼馴染みの「闇太郎」と呼び…という内容。

劇団☆新感線の「いのうえ歌舞伎」と言われる時代劇路線に、今回は脚本としてクドカンこと宮藤官九郎を迎えている(同公演を収録した映像は、映画館での上映も行われた)。ふんだんな歌や踊りに、血しぶき飛び散る激しいチャンバラ。更に加えて下ネタやメタネタに、シュールなギャグまで盛り込んでいるという…

まあ筆者そういう色々含めて、見るのは今回が初めてなんだけど。…垂れ幕状のスクリーンに回想場面を映して、演劇では制約の多い時系列の幅を広げているのは成る程なと。「用心棒」風の話だからか、モリコーネ調の音楽にはニヤリ。
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2016.09.26

ライ王のテラス

TV放映を見た。三島由紀夫作、宮本亜門演出による舞台劇。

戦より凱旋帰国したカンボジアの王・ジャヤーヴァルマン7世は、バイヨン寺院の建立を若き石工ケオ・ファに指示する。ところが王の肉体は「ライ」の病魔に冒されており、周囲の者達も彼に近付くことを恐れていた。第2王妃ラージェンドラデーヴだけは変わらず王に付き沿うものの、彼の不信は治まらず…という内容。

三島由紀夫最後の戯曲だという当公演、今回王を演じるのは変態仮面こと鈴木亮平。輝く様な肉体を見せ付ける前半から、病で憔悴した後半へと変化する難しい役に当たっている。数十kgの体重を増減させたりと、日本における「デニーロ・アプローチ」の若き代表みたいな人なので、仲々に面白い配役だと思う。

内容面でも三島が晩年関心を抱いていた「精神と肉体の相克」を採り上げているのが興味深い。まあ今現在「癩病」を扱う際、差別問題を意識しない訳にはいかないが…そういう辺りを主題に置かなかったのは、三島っぽい感じだな。
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2015.09.05

NODA・MAP公演「エッグ」

TV放映を見た。野田秀樹作、演出による舞台劇。

寺山修司の未発表戯曲に記された「エッグ」と呼ばれる謎の集団球技。東京五輪を目指す日本代表チームの控え室で、記録を残す事が御法度であるこのスポーツの成り立ちを紹介する映画が撮影される。選手の阿倍比羅夫を始め、その妻であり歌手の苺イチエといった人々は、歴史の流れに翻弄され…という内容。

妻夫木聡や深津絵里といった、TVでもお馴染みの出演陣による演劇。演出の野田も芸術監督役で出演しており、彼の読む原稿の内容が演じられていくという階層構造になっているのが特徴。…そのお陰で時系列や設定がかなり複雑で、舞台でもこんな急な場面転換や時間の移動が可能なのだなと驚いてしまった。

芝居は主にロッカールームで進むのだが、ロッカー内に出番を待つ役者が控えており、それが入れ替わり立ち替わりする目まぐるしさにも驚嘆する。数年後に東京オリンピックを控える今、現実との階層がまた一枚加わって尚の事面白い。
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2015.04.15

劇団ままごと公演「わたしの星」

TV放映を見た。柴幸男作、演出による舞台劇。

遠くない将来の滅びを控え、大多数の人類が火星に移住した後の地球。唯一の学校では残された数名の生徒達が、学園祭の演し物であるミュージカルの練習に追われていた。だがその中のスピカが地球からの転居を唐突に告げ、生徒達の間に動揺が走る。そんな状況の中、火星からの転校生が現れ…という内容。

概要の通りSF的な設定による舞台劇。前作として「わが星」という、宇宙的な題材を採り入れた劇も評判になったらしい。…まあ演劇の世界でこういうネタが多いか少ないかは知らないけど、「SF」という辺りが琴線に触れたので紹介するよ。

とは言うもののキャストに一般の高校生をオーディションで起用したとの事から、内容自体はどちらかと言えば青春ミュージカル。四六時中怒鳴ってる様な発声に閉口したけれど、元気がいいのは悪くない。…ただ本作の設定から何か連想すると思ったら、震災後の東北の現況だな。そうした隠喩にはやはり切なくなる。
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2015.04.11

シス・カンパニー公演「三人姉妹」

TV放映を見た。ケラリーノ・サンドロヴィッチ演出による舞台劇。

帝政ロシアに暮らす長女オルガ、次女マーシャ、三女イリーナ。姉妹は父親の逝去以来没落してしまったプローゾロフ家で、昔日の地モスクワへの憧れだけを胸に生活していた。そんな姉妹にも容赦無い時代の変化が訪れ…という内容。

演出家サンドロヴィッチというのは、要するに80年代インディーズ御三家の一角「有頂天」のケラ。演劇畑に転身したのは以前から知ってはいたけど、実際にその模様を見るのは筆者初めてだったりする。…しかしキャストに宮沢りえを起用する様なメジャーな活動をしてるとは思わなかったので、単純に驚いてしまった。

で内容はと言うと、バンド時代のエキセントリックなイメージとは違って、実にもって正攻法な演出(チェーホフによる有名な戯曲ながら、筆者は今回が初見だったのだが…まあ多分そうだろう)。宮沢に関しても少女時代の印象で接すると、激しい演技に圧倒されてしまう。…人の成長というのはすごいもんだなと、改めて。
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2010.06.07

文学座公演「定年ゴジラ」

TV放映を見た。重松清原作、杉浦久幸脚色、西川信廣演出による舞台劇。

定年退職から間もない山崎さん、彼が住む町はニュータウン「くぬぎ台」。そこはめぼしい娯楽施設も無いところ。どうにも暇を持て余していた彼は、町内会の人々と知り合い意気投合する。そんな時雑誌の取材と称して、ある大学教授がくぬぎ台を調査に来る事になる。慌てふためく町内会の面々だったが…という内容。

題名に興味を持って見たら面白かった。「ゴジラ」というのは老人達が酔っ払って建築模型を踏み潰す様子からで、流石に怪獣が登場する事はない。…当公演では、役者さんそれぞれが個性的でいい感じ。「町」が重要なモチーフとなる内容なのに、舞台劇では表現し切れていないとも思ったけれど、それはまあご愛敬。

個人的には、暗転時にビートルズの曲が流れる演出もよかった。…いいにはいいけどこれは恐らく「ノスタルジー」の表現だと思うだけに、ビートルズを懐古的感覚で聴いたりはしない世代の自分には、ちょっとしたヒットメドレーといった感じ?
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2010.06.06

マレビトの会公演「血の婚礼」

TV放映を見た。ガルシア・ロルカ作、松田正隆演出による舞台劇。

結婚式を目前に控えたイザベルとアントニオ。だがイザベルにはかつてレオナルドという恋人がおり、彼は結婚式当日招かれざる客として彼女の前に再び現れる。戸惑うイザベルだったが、レオナルドと共に手を取りその場から逃げ出してしまう。そのレオナルドは、アントニオの父と兄を殺した一族の者だった…という内容。

実話を元にしたという作品。個人的には以前、アントニオ・ガデスが舞踊劇化したカルロス・サウラ監督の映画を観ている。んだが、そちらはリハーサルを映像に収めるというドキュメンタリー的な体裁で、ストーリーを語るって感じでもなかった。

当公演でも同様に原作に綴られた物語は重視せず、演出を特化させるといった手法。簡素な舞台上に高所から水滴が零れ落ち、生気の無い人物が抑揚なく台詞を読み上げる。その台詞すら突発的な騒音に掻き消される始末。…途中で画面を眺めるだけになったのは映画版と同じだけれど、印象が正反対なのは面白い。
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2010.06.05

神曲 地獄篇・煉獄篇・天国篇

TV放映を見た。ロメオ・カステルッチ作、演出による舞台劇。…当公演はカステルッチがダンテ「神曲」に着想を得、現代に生きる人々に向けた舞台として再構成したもの。内容は原典同様3部に分かれており、それぞれで表現も異なっている。

「地獄篇」は演劇というより集団によるパフォーマンスアートといった趣きで、苦悩や死のイメージの連続が抽象的に紡がれる。「煉獄篇」はもう少し演劇的な手法で描かれる夫婦と少年の、ある家庭のざわつく不安な情景。そして「天国篇」は数分のインスタレーションによる、始源的な闇と水流が見せる苦闘…こんな感じ。

今回見たTV放映では、地獄篇はアビニョン法王庁広場という変わった野外空間での上演。そうした場所なのにさほど宗教的な感覚を受ける事もなく、観念的或いは形而上的雰囲気が漂っていたのが面白い。…個人的には見ていて内容を無理に解釈しようとは思わなかったので、そうしたイメージの連鎖自体が興味深かった。

何でかA・ウォーホルや、マジンガーZ(着ぐるみでモゾモゾ動く)も登場するし。
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